2012年2月12日

【コラム】ゲーミフィケーションとARG


ゲーミフィケーションとARG(代替現実ゲーム; 注:「拡張現実ゲーム」ではありません)ってどういう関係なの?との質問をいただきまして、いい機会ですので私見をまとめようかと思います。あらためてのお断りですが、記事は個人の意見であり、SIG-ARG の公式の見解ではございません。

ここ最近、ゲーミフィケーションとの関連でARGが語られる機会が増えたのは、間違いなくジェイン・マクゴニガル女史の影響でしょう。著書「Reality is Broken(邦題:幸せな未来は「ゲーム」が創る)」で語られているメッセージ「ゲームで現実世界をよりよくできる!」は、明快かつ刺激的であり、多くの人へ強い影響を与えています。そして、彼女はARGのトップクリエイターとしての側面もあり、それがゲーミフィケーションとARGが近しく語られる原因となっています。(詳しくは邦訳発売時の記事を参照してください)

ただ、ゲーミフィケーションがバズワード化してきた中で、Reality is Broken を一読して「ARG=ゲーミフィケーション」と誤解されるケースなども出てきていそうですので、改めて整理します。

最初にひと言でいいますと、ゲーミフィケーションとARGの関係は、「現実世界の課題に対してゲーミフィケーションで改善を試みるという事例において、ARGの手法を用いると効果的な場合があります」となるでしょうか。

二者のそもそもの違いは、ARGは「特別な体験」というエンタテインメント性が第一義であり、ゲーミフィケーションは「サービスの改善」という実用性が第一義である点だと私は考えています。(なお、「改善」というのは既存の同種のサービスに比べて良くするという意味であり、新サービスの立ち上げも含みます)


ただし、本当に効果的なゲーミフィケーションは、ユーザの体験をどうデザインするかを非常に深く考えます。逆に、ARGは特別な体験を強化するためにゲームの持っているあらゆる手法を活用します。そのため、結果としてARGとゲーミフィケーションの事例が重なることがしばしばありますが、そもそもの軸足が異なることは重要です。

また、フォーカスしている対象も異なります。この違いは、ARGの手法とゲーミフィケーションの包含関係にも表れています。次の図をご覧ください。


ARGは、名の通りの「代替現実感(Alternate Reality)」が、自身が提供する「特別な体験」の一つのファクターとなっています。これは、現実と物語世界が交差したように感じられた時に生まれる独特の感覚です。

なお、ARGの定義として代替現実感を重要視しない場合もありますが、その場合でも「現実を面白く捉え直すことで楽しむ」という基本線は変わりません。どちらにせよ、ゲーミフィケーションの本質的な目的とは関係が薄いポイントです。

一方で、ゲーミフィケーションでは、稼いだポイントでアバターを着飾らせられたり、何かの活動で経験値が貯まりレベルアップすることはユーザの動機付けを行うために重要な手法ですが、この種のいかにもゲーム的な仕組みは、ARGにとって必ずしも重要ではありません(し、場合によっては代替現実感を損なうと忌避されます)。

「特別な体験」を提供するために「現実を〜する」「日常生活を〜する」ということに興味を持っているARGと、ユーザを動機付けするためだったら何だって利用してやる!というゲーミフィケーションという違いですね。

以上で、「現実世界を視点を変えて捉え直すノウハウが溜まっているARGの手法の一部を、ゲーミフィケーションのツールとして利用することができる」という両者の関係性をご理解いただけましたでしょうか。

最後に、バッジやトロフィーをあげれば嬉しがるんでしょ?というようなユーザを軽視した浅いゲーミフィケーションの理解ではうまくは行かないというのは、皆さまご存じのとおりです。もし現実世界をゲームの手法で変革したいのであれば、ジェイン・マクゴニガル女史が「Reality is Broken」内で何度も主張しているように、外から与えたご褒美で釣るのではなく、参加者の自発的な喜びを引き出していく必要があるでしょう。彼女が本の中で「ゲーミフィケーション」という言葉を一度も使わなかった理由は、その点(=外発的報酬に頼った浅い理解のゲーミフィケーションと同一視されたくなかったこと)にあるのではないかと私は想像しています。

ご意見・ご感想がございましたら twitter の #SIGARG か @epi_x までお気軽にお寄せくださいませ。

関連リンク
ARG情報局: ARGの力を説いた名著「Reality is Broken」の邦訳が発売!
gamification.jp
ジェーン・マゴニガル 「ゲームで築くより良い世界」 | Video on TED.com
Amazon.co.jp: 幸せな未来は「ゲーム」が創る

4 件のコメント:

  1. 非常に参考になりました。
    僕自身はゲーミフィケーション側からARGの話をすることが時々あります。おっしゃるように重なる部分とそうでない部分があり、区別をどのようにすべきかを日ごろ悩むのですが、ARG側の方からのご意見は非常に勉強になりました。

    僕自身は外向けに説明をする際には、
    ・ARG:アウトプットがゲームになっており、基本的にはエンターテイメントを目的とする
    ・ゲーミフィケーション:アウトプットはゲームの形にならない(ゲームに見えない)ことが多く、またエンターテイメントを目的ともしない
    というような言い方をすることがあります。

    「サービスの改善」という意義で使われることが一般に多く見られるというのは確かだと思いますが新規サービスの立ち上げ時にゲーミフィケーションの手法を取り入れることも見る機会が増えており、「改善」の意味するところが「既存サービスをより良くすること」よりは「サービスの価値をより伝えやすくすること」というようなニュアンスであるとイイなと思いました。

    ゲーミフィケーションの主眼が「特別な体験を提供することにはない」というのは仰る通りだと思います。

    ゲームの力は様々な場面で使えるという発想を同じくするという点でARGの発展には大変興味を持っています。また何かの折にはご指導頂けると幸いです。

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  2. ご意見、ありがとうございます!
    「サービスの改善」という言葉は、既存の同種のサービスに対して改善する、という意味合いで書いていました。少し分かりにくいかも知れないので、本文に補足を入れておきます。
    ゲーミフィケーションとARGは密接な関係にありますので、今後も互いに発展していけるといいですね! よろしくお願いいたします。

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  3. epicsさんの解説もFukadaさんの指摘にも納得ですが、これらの対比に加えて、ゲーミフィケーションとARGの違いを「ゲーム」と「演技」の違いとして特徴づけてみるとさらに理解が促進されるのではないかと思います。

    ゲーミフィケーションは、ゲームに見られる、ある活動に対する人間の行動を動機付け、その行動を習慣づける「強化学習」のメカニズム(ゲームメカニクス)を、ゲーム以外の活動に応用する一連の取組みを指す。わかりやすく言うと、「ゲーム以外の活動にゲームのように人間をはまらせる」のがゲーミフィケーション。

    ARGは、日常の活動をフィクションの物語世界の出来事と見立てて、その世界の登場人物と参加者を共演させるこで物語を展開させる参加型のストーリーテリング。つまり「現実世界の行動を物語世界のように演じる」のがARG(ARGはゲーム要素も持っていますが、ゲーミフィケーションのとの違いを際立たせるため演技要素に注目)。

    どちらもエンターテイメントと現実世界の活動が結びつくところに面白さがありますが、ゲーミフィケーションが活動の習慣的継続に利用されることが多いのに対して、ARGは活動(ないし作品や商品)の認知や発見に応用されることが多いという点も、両者の一般的な使われ方の違いと言えるのではないかと思います。

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  4. 武山先生、コメントをありがとうございます! 確かに、ARGの定義として共演感覚を中心に持ってきた場合、ゲーミフィケーションとの違いはいっそう明確になりますね。
    「ゲームメカニクスを利用してゲーム以外の活動にゲームのように人間をはまらせる」というゲーミフィケーションの定義はとても分かりやすいと思います。
    ただ、ARGの定義に関しましては、Reality is Broken での定義や事例もちょっと曖昧ですし、日本でARGに興味を持っている人が考えているARG像も多様なため、ストーリーテリングを定義の中心にもってきにくいという事情があります。例えば、リアル脱出ゲームなどの謎解きイベントもARGだとする立場があるためです。
    と、ここまで書いていて、「共演感覚」というキーワードならくくれそうな気がしてきました。リアル脱出ゲームも、会場=閉じ込められた現場だという見立てを全員で共有して演じていると見れますね。
    記事中に書いた「現実を別の側面から捉え直して楽しむ」に、「みんなで」というキーワードを付けると、「共演感覚」という言葉にまとめられそうです。もう少し考えをまとめてみたいと思います。

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