2021年6月27日

【対談】トランスメディアストーリーテリングって何だ?(前編)

はじめに

石川の『CEDEC2019』でのセッションや、『マーベルシネマティックユニバース』(以下『MCU』)の成功などでトランスメディアストーリーテリング(以下「TMS」)という言葉が日本でも少しずつ紹介されるようになってきました。
そんな中、TMSという言葉の提唱者であるヘンリー・ジェンキンズの『コンヴァージェンス・カルチャー』がようやく翻訳されたこともあって、今後さらにTMSという言葉を目にする機会が増えるのではないかと思います。

ただ、『コンヴァージェンス・カルチャー』の原著が15年くらい前のものであるために実例がやや古いこと、またTMSのカバーする範囲がとても広く、いろいろな切り口があるために、一部の実例を聞いただけで「TMSってこんなものなんだ」という誤解を与える危険性も出てきています。
そこで、TMSについて立場が違う3人がそれぞれの視点から議論することで、TMSとはそもそも何か、そのカバーする範囲や、解釈の曖昧な点の洗い出しができるのではないかと考えて、clubhouse上で2021年3月17日に行われたのがこの対談イベントです。

前編だけでも凄いボリュームのテキストですが、今まで日本ではあまり考察されなかった内容だと思いますので、ぜひ参考にしてください。


対談メンバー

中村彰憲
立命館大学映像学部教授。
主な著書に『中国ゲーム産業史』(Gzブレイン)
『ファミコンとその時代』(NTT出版、共著)
2015年のサバティカルを契機に北米で熱狂が拡がる
トランスメディア・ストーリ―テリングについて
「ファミ通.comゲーム産業研究ノート:グローバル編」
で初リポート。以降、この概念に基づいて、
北米IPや国内IPも再分析し、継続的に発表している。

 

イシイジロウ
ゲームデザイナー 原作・脚本家 
一般企業で広告・宣伝担当を経てゲーム業界に転職。チュンソフト、レベルファイブにおいておもにアドベンチャーゲームのシナリオ・監督・プロデュースを務めたのち、2014年に独立。独立後はビデオゲームだけでなく、アニメーションや舞台、ドラマ作品などでも活躍。代表作は「428 ~封鎖された渋谷で~」「タイムトラベラーズ」「3年B組金八先生 伝説の教壇に立て!」「文豪とアルケミスト」「新サクラ大戦」「マジカパーティ」など。
星海社新書より「IPのつくりかたとひろげかた」「ストーリーのつくりかたとひろげかた」を上梓。


石川淳一

有限会社エレメンツ ゲームデザイナー。
1986年からゲームデザイナー、ディレクターとしてPC版『大戦略』シリーズ、『凱歌の号砲』、『ジャンヌ・ダルク』などストラテジー系ゲームを中心に数多くのビデオゲーム開発に参加。
最近はARG(代替現実ゲーム)やイマーシブエンターテインメントなどの体験型ゲームデザインを主領域にしつつある。
「ARG情報局」編集人。IGDA日本 SIG-ARG正世話人。

TMSの定義

石川 TMSという言葉がどこから出てきたかという話から始めたいと思うのですけれど、これはヘンリー・ジェンキンズが最初に言いだしたという理解でいいんですよね?

中村 はい。もともと2003年にエッセイのような形でTMSという言葉を使い、そのあと2006年の『コンヴァージェンス・カルチャー』という本で明確に定義しました。
その後も少しずつ定義の修正があり、2007年にジェンキンズのBlog「Transmedia Storytelling 101」でまとめたものが、欧米の研究家の間で現在継承されている定義ですね。

石川 それは具体的にはどういう定義なんですか?

中村 海外の学者は1つの文章ですべてを定義しようとするので非常に複雑で、それを日本語に置き換えようとするとさらに分かりにくくなるんですけど、あえて訳すと
「フィクションにお いて不可欠な要素を、統一的且つ連動されたエンターテインメント体験を作り上げる目的のもとに、複数の伝達手段へとシステム的に分散するプロセスで、その理想形は、それぞれのメディアが物語展開に独自の貢献をするもの」
ということになります。

石川 やっぱりよく分からないですね(笑)

中村 もともとこれは映画『マトリックスリローデット』以降の展開の影響を受けて書いているんですけど、『マトリックス』本編で書ききれなかった世界観や前後のエピソードの内容をアニメの短編シリーズやゲームで展開したんですね。
その分析の際に、ジェンキンズは定義を改めて整理したんです。それを発表したのが2006年の本『コンヴァージェンス・カルチャー』なんですね。

『コンヴァージェンス・カルチャー』


その本文の翻訳を読みますと
「トランスメディアのストーリーは複数のメディア・プラットフォームで展開し、それぞれ の新しいテクストが全体に特徴的かつ価値のある形で貢献する。トランスメディア・ストーリーテリングの理想型においては、それぞれのメディアが一番得意なことをやる」
と書かれています。

石川 「メディア・プラットフォーム」というのを分かりやすく説明してもらえますか?

中村 テクストというのは文学評論的な言葉で文章とか表現のひとまとまりのことですね。
メディア・プラットフォームというのは、特定のユーザーに対してメディアコンテンツを提供することを目的として構築されたプラットフォームを指します。
Netflixなどの映像配信サービスなら実写映像やアニメの、マンガアプリならマンガの、Steamなどならゲームのメディアプラットフォームということが出来ます。もっとも最近は、PlayStation Networkのようにゲームも映像作品も配信するサービスも増えていますが。

石川 たしかに今は、テレビで大河ドラマを見ながら、PCでWikipediaにアクセスしつつ、その情報をTwitterで流すとかありますもんね。
ところで、『コンヴァージェンス・カルチャー』巻末の用語集にも別の定義が出てきますよね。

中村 はい、そこでは
「複数のメディア・プラットフォーム に 物語を展開させつつ、それぞれのメディアにおける物語がその世界全体を理解する助けとなるように物語る手法。原典(urtext)とその付属 的な商品というモデルよりも、フランチャイズ 開発に統合的なアプローチをとる。」
と書かれています。

石川 それだとふつうのメディアミックスと変わらないのでは?

中村 そうなんです。ストーリーの理解の助けになるものならいいんだ、だったらメディアミックスと同じだよな、と。それに対して2007年版の定義はさきほども言ったように
「フィクションにお いて不可欠な要素を、統一的且つ連動されたエンターテインメント体験を作り上げる目的のもとに」
つまり、最終的に1つの物語として楽しむために
「複数の伝達手段へとシステム的に分散するプロセスで、その理想形は、
それぞれのメディアが物語展開に独自の貢献をするもの」
ここで1つの物語を展開する、ということが明確になったんですね。
つまり、1つの大きな物語が、各メディアの力によってより強固に連続した形で展開する、広げるのがTMSだということで、2007年に一般的なライセンス展開と明確に違いが定義された訳です。
これについては、本人も2011年に発表したブログのエントリー「Transmedia 202: Further Reflections」でさらに明確にしめしています。

「Transmedia 202: Further Reflections」の元となったComic-Con2011でのセッション

 当初はジェンキンズ自身もそこまで区別していなかったように感じられます。例えば2003年の時点では「ポケモン」をTMSの例としてあげていたんですね。2007年の定義だとポケモンは確実に当てはまらないですよね。ゲームとアニメやマンガは、キャラクターや設定は共有していてもストーリーは違いますから。もっとも「メディアミックス」という言葉や手法がそこまで認知されていない中で、単なるライセンスモノ以上の連携がとれたことを伝えたかったのかもしれませんが。

石川 そこで混乱しがちなのは、『コンヴァージェンスカルチャー』がちょうど翻訳されたということもあるんですが、TMSの説明にいろんな事例が載っている。
その中で以前、中村先生たちとお話した時にも出た問題としてあるのが、例えば『スターウォーズ』とか『マトリックス』とか『MCU』みたいに、個々の作品で世界観は共有しているけど、作品毎には一応完結しているようなタイプと、私が研究しているARG(代替現実ゲーム)のように、それぞれのメディアはストーリー性をほとんど持ってなくて、それぞれのメディアが集まることでストーリーが初めて発生するタイプのものがある。

ARG情報局「ARG(代替現実ゲーム)とは?」


ARGを知らない人にちょっとどのようなものか説明すると、すごく大雑把には、現実空間にあるリアルなメディアを使った大人のゴッコ遊びのようなものと思ってもらえればいいです。
例えば知らない人から本当にメールが届く。そのメールに「助けてください」みたいなことが書かれていて、でもどうやって助ければいいか分からない。
ふと、ネット検索してみると、メールを送った主のブログを見つける。そのブログを読んでいると送り主がどんな危機に陥ったか分かってくる。そこに出てくる別の名前があって、名前を検索すると今度はその人のやっている会社の公式サイトがある。そこに電話番号があって、そこに電話すると留守番電話のメッセージを聞くことができる……
このように、1つ1つは断片でしかなくて何の物語でもないけれども、それらを集めて初めて物語が見えてくるというのがARGの基本的な構造なんですけど、これもTMSと呼ばれているんですよね。

中村 そうですね。そこでちょっと面白いのは、ジェンキンズもARG的な体験の例を『コンヴァージェンスカルチャー』に入れているのだけど、マトリックスの章では一般的な定義を書いたあとに、解説としてこう書いているんですよね。
「それぞれのフランチャイズへの入り口は、それだけで理解できるようなものである必要がある。 ゲームを楽しむために映画を見る必要はないし、逆もOK、というようにしておくためだ」
つまり作品単体で成立する必要があるって彼は言ってるんです。で、これを読むと「ん? じゃあARGはTMSに入らないじゃないか」となる。(笑)
で、正式の定義ではそう書いているけど、今度はエッセイのページではARGを取り上げている(笑)。だから、研究者の意見も割れていて、メディア研究とか映画研究をやっている人は、TMSというとさっきの話のように「作品作品単体でも理解できるものが集まってTMSになる」と言ってるし、一方でゲームスタディズとかやっている人とかはARGとかLARPとかもTMSだと言ってる人が多くて、実はwikipediaのARGの項目を見ても、現実と虚構を混ぜ合わせたTMSのやり方と書いてあったりする(笑)。


石川 更にややこしいのは『コンヴァージェンスカルチャー』が2006年で、TMSの元になった最初のエッセイが2003年だけど、ARGの元祖と言われている映画『A.I.』のプロモーション『The Beast』は2001年ですし、映画を中心にTMSをやった『ブレアウィッチプロジェクト』は1996年なので、TMSという用語が出てくる前から、そういったものはあった訳ですよね。
当時のWIREDの『The Beast』紹介記事


そういうTMSの代表的なものがTMSという言葉が出る以前からあって、その上で『コンヴァージェンスカルチャー』の中でもARGとかブレアウィッチプロジェクトとから触れられているということで、よけいに何がなんやら分からなくて、海外の人はこれで混乱しないのだろうかと率直な疑問なんですけど(笑)

中村 いや、文献を辿っていくとめちゃくちゃ混乱していますね(笑)
用語もいっぱい出てきていて、特に混乱があったのが、クロスメディアという表現とTMSが同じなのか違うのかとか、TMSと言われている隣でクロスメディアナラティブとかクロスメディアストーリーとかいう言葉を使ったり。
で、一番複雑なのは我々日本人からは原語がもっている細かいニュアンスの違いが分かりにくいんですね。実際、「TMSのS、つまり、ストーリーテリングを省略してトランスメディア」としている研究者が多くいますが、ヘンリー氏も「Transmedia 202: Further Reflections」で指摘しているように、それだと「単にメディアを越える」という意味になってしまいます。そうなると、トランスメディアはメディアミックスと変わらない訳です、ストーリーの整合性が必要ないから。日本に限らず他国でもそうなんですが...このように言葉が一人歩きしてしまって、いろんなところでごちゃごちゃしちゃったんですね。
でも最近、産業系とかメディア系でもやっとTMSと言われるようになったのは、ディズニーたちが実際にそれを実践してめちゃくちゃ成功したというのが大きいですね。ああいうところでTMSというのが定着して、クロスメディアナラティブとかの言い方がだんだんフェードアウトしていったんです。

原語と日本語のズレ

石川 ディズニーだと、MCU以外で何か例があるんですか?

中村 代表的なのはディズニーに移った後の『スターウォーズ』ですね。これは『MCU』よりもTMSとして発展した形態をとっています。
スピンオフなどで生まれていたディズニー以前の膨大な作品群を、ディズニーが定めた「正史」的な作品世界と、それ以外の「伝説」的作品世界に切り分けた上で、TMSとして展開していきました。ゲームでも『バトルフロント』だったら、『スターウォーズ』のEP6と7の中間の話にあたる、ジャクーの戦いでスターデストロイヤーが落下していくシーンをだしたり、正史に貢献できる要素を必ず入れている。
『Star Wars バトルフロント』EA公式サイト


ゲームはインタラクティブでオリジナルな体験をユーザーに課さなければならないので、完全なノンリニアの小説とかマンガのような形では正史に対する貢献はできないけれど、「可能な限り」というのはそういったところかなと。TMSの定義に基づいて忠実にやろうとしている。ただ、イシイさんもご存じのように『最後のジェダイ』で、ファンからの共感を得るのに失敗しているんですよね。

イシイ まあ、そうですね、映画としては。(苦笑)
TMSの話に戻すと、石川さんの立場からすると苦々しいのかもしれませんが「クロスメディアナラティブ」という言葉の定義をTMSと言い換えて、それがメジャーになって乗っ取っているようにしか聞こえないんですよね(笑)
なので、逆にTMSという言い方を頑固にARGが守るかどうかという問題になってきて、別の言い方に逃げないと逆に混ざってしまって「なんで違う意味に使っているの?」みたいな言われ方をする危険性がある。先行者であっても少数派だと負けちゃうのが最近の常なので。
複数のもので1つの大きなものを語るという意味では本来は一緒なんですが、単独でそれが理解できるかどうかの意味合いは変わってきていて、説明を聞けば聞くほど現状のTMSはメディアミックスの進化形にしか聞こえないんですよね。

中村 実際、日本人の視点として見ると、TMSはむしろ、メディアミックスの一形態だと言えると思います。もっとも、研究者という視点で見ると、メディアミックス自体が和製英語として欧米や他国における状況とは無関係性に形式が発展してきたのに加え、、欧米におけるライセンス展開や、メディアフランチャイズとどう違うのかなども含め整理したうえで、主張する必要が出てくるので、やはり慎重になってしまうのですが...

イシイ 『ポケモン』とか『仮面ライダー』みたいに1つのIPだけど世界が違うものとかが出てくると、逆にTMSの定義にははまらなくなくなってしまうんですよ、整合性がないから。でも、そちらの方が僕は進化していると思っています。言葉が「トランスメディアIP」とかになっちゃうかもしれ、ませんが。
そういう次のステップが見えている状態の中で、今の言葉の定義がそのまま固定してしまうのはもったいないなと思って聞いていました。

中村 ただ、ここで言わなければいけないのは、メディアミックスは日本で定着していますが、TMSというのは最終的に日本のメディアミックスから影響を受けたりしながらも、定義されたのがアメリカにいるメディア研究者のヘンリージェンキンズ教授、さらにジェフゴメス氏などクリエイティブ側も積極的にハリウッドやゲーム業界などでこれを実践してひろがって今があるので、彼らが「変えよう」と判断しないかぎりその言葉が変わることはないと思います。
我々が一生懸命こうだと言っても、向こうがこの「新たな概念」を認めていかない限り、コミュニケーションは取れないんです。僕はアカデミックの人間なのでそこに翻訳っていう問題もあって。例えば、今回翻訳された『コンヴァージェンス・カルチャー』も「ヴ」なんですけど、これは人文系の研究者の間で、英語でVにあたるものはBと差別するためにも「ヴ」にしようと合意形成がとれているからしているわけですよね。経営学は産業界とも直結しているので「バ」をVとBでも使う。なので、「コンバージェンス」は「バ」なんですよね。
今回は訳者が人文社会系の研究者なのですが、「ヴ」にするかどうかというのは、ちゃんと議論して、結論を出しているのだと思います。「ナラティブ」とかも同じですね。「ブ」なのか「ヴ」なのか。そもそも「ナラティブ」という言葉を使うのか、いや「物語」でいいじゃないかということすらも全部、議論して合意形成をとって提示していく必要があるんです。これはこれで、理論を検証したり反駁したりするうえで不可欠なのですが、どうしても時間がかかってしまう。

イシイ 「ナラティブ」は僕もいまストーリー本を4月に発刊するので触れているんですけど、ナラティブという言葉も現在、アメリカと日本でナラティブの意味が違ってしまっているんですよね。

『ストーリーのつくりかたとひろげかた』
書影:版元ドットコム Kindle版

アメリカは普通にストーリーのことをナラティブと言っていて、日本ではゲーム体験のことをナラティブって言ってる。元々はアメリカでもゲーム体験のことの事をナラティブと呼んでいたんだけど、現在は意味がずれてしまっていて、そこもそのうち議論になっちゃうんだろうなあと。
でも、アメリカ人はきっとナラティブの意味を今のものから変えないだろうし、アメリカの方がゲーム市場として大きい時点で、同じ英語を使うなら日本のナラティブをどこかでひっこめざるを得ないだろうなと。

中村 一度概念が提示され、そのコミュニティで認識が進むと、その発祥地やそこで用いられた言語(TMSの場合は英語)で研究がやっている人たちによって、概念がどんどん進化してしまうんです。もっとも、日本のメディアミックスがここまで独自の形態で進化を果たしたというのはこれと同じことだと言うことも出来るかもしれませんが。
今回、スーザン・トスカさんと共同で、DiGRA2019で発表をしたり、論文を書いたりしましたが、敢えて、メディアミックスではなくTMSの定義で「機動戦士ガンダム」シリーズを検証したことで、面白いことに改めて気づきました。日本の多くのファンはご存知だとは思いますが、「機動戦士ガンダム」シリーズは当時、子供向けが中心だった、巨大ロボットジャンルに対し「宇宙戦艦ヤマト」の成功をベンチマークの対象としたうえで、ターゲットの年齢層を高めて作品づくりをするためにも、世界観にリアリティをもたらす必要がありました。
結果的にテレビシリーズからOVA、映画『逆襲のシャア』のようにテレビ、OVA、劇場用映画とメディアを越えて、モビルスーツの技術発展や、主要キャラクターの継続的な成長から、国家間の政治的変遷まで、宇宙世紀世界を整合性がある形で発展させたんです。たしかに最初の劇場版三部作や小説版は再解釈をともなうアダプテーションではありましたが、メインコンテンツの戦略は、MSVのプラモデルに挿入された説明書のテキストも含め、TMSの定義に非常にフィットしたかたちで展開されました。
ところが、ゲーム『機動戦士ガンダムF91 フォーミュラー戦記0122』や映画『機動戦士ガンダムF91』、そしてテレビ『機動戦士ガンダムV』にたどりついた頃には、これまでの宇宙世紀世界からあまりにも逸脱してしまい、ついてきたのが一部のコアファンだけになってしまいました。

石川 そして、その頃から「宇宙世紀」にとらわれないガンダムが出てくる。

中村 結局、あらたに低年齢層や、女性層へと市場を拡げるために、「SDガンダム」シリーズを本格的に複数のメディアや商品へと進展させたり、「アナザーワールド」を持ち込んできます。このようにTMS的展開でしばらく発展した「ガンダム」シリーズに、キャラクターやメカが中心のメディアミックス展開を統合していったことが、IPの持続的発展に繋がったというのが論文の主旨です。「ハリウッド的なTMS」と「日本的メディアミック」のどちらかに優劣があるという議論ではなく、バランスが必要という... つまり、日本のIPにおける展開例を用いて、TMSの新たな方向性を提示した論文になっています。
このようなガンダムシリーズの経緯は日本の多くのユーザーにとっては「常識」とも言えますが、検証次第では、欧米におけるTMS研究者にとって価値のある分析を提示できるわけです。このような事例は、その他に多数存在すると思います。
ただ、欧米から提示された概念を日本のアカデミックに持ち込もうと現存の専門用語や研究者間の合意形成をとる形で「翻訳」をしようとすると、こういった、欧米での概念の進展に貢献する可能性につながる調査や分析に必要な時間か、それ以上の時間を「翻訳」に費やさなければならなくなってしまう。もちろん、それも重要な仕事であることは当然ですが、その分、「欧米と同様に、実は、日本においてもTMS的展開を果たしてきたIPが存在し、独自の発展を示していた」という事実を示すことも出来なくなってしまう..英語がネイティブではない研究者ならではのジレンマだと思います。石川さんの悩みはなんでしょうか?

どこまでがTMSと言えるのか

石川 TMSを使った遊びというのは、ARGもそうですけど、謎解き系とかもけっこう使われ出してきていて、それらを統合して表す言葉として「トランスメディアゲーム」というのはどうかと思ったのですが、少なくとも検索する限りでは海外ではそういう単語ってないっぽくって。
そうするとまた和製英語みたいになってしまって嫌だなと思う反面、さきほど話があったようにTMSが多岐に渡った結果、「MCUがTMSですよ」と言われてくると、そちらのイメージが強くなってしまうので難しいなあと。
話は変わりますが、『MCU』って一部コミックの展開もありますがレギュラーシリーズではなくほぼ単発ですし、基本的にはほんと映画とドラマじゃないですか。だとするとそれはトランスメディアなのかなというすごく素朴な疑問を感じていて。

MCUのコミックの1つ『ブラック・ウィドウ:プレリュード』日本語版
書影:版元ドットコム Kindle版

たとえば、アニメとかがあればぎりぎりトランスメディアしているかなとか、ゲームが最初から組み込まれていればさっきの『スターウォーズ』みたいな感じでTMSになるかなと思うのですが、そういうものがない『MCU』がTMSと言われることそのものがけっこう違和感を感じるんですけど、そのあたりはどうなんでしょう?

イシイ たしかに『MCU』はコミックと映画の関係についてはトランスメディアっぽいですけど、ほとんどのコミックと映画が統合されているかというとそうではないですよね。『ガンダム』並に平行世界になっているので。
そう考えると、あれをTMSと言った時に、『ガンダム』とか平成『ライダー』とかの平行世界といったものを取り込んでいくという形になってくるんです、TMSが。
パラレルワールドというかマルチバースになっていくというか。そっちをTMSと呼んでいくと、マルチバースのことがTMSっていうんだ、とか言いだしそうでややこしくなっていくんですけど(笑)
話を戻すと、『MCU』はそんなにTMSと思ってないです。ただ、事例としては上手くいっているので、あれがTMSということがTMSにとってマイナスじゃないんですよね。

石川 なるほど(笑)

イシイ そうなんですよ。「世界で一番売れた映画はTMSなんだ」って。
なので、そこのところをどう本来のTMSのジャンルの人がどう受けとるかなんですよね。
「売れてるけど違うよ」と言うのか、「いや、売れてるからうまく利用しよう」と思うか。
そのあたりはプロデューサー視点なんですけど。厳密に言うと違う、でも売れているからTMSと言ってもらった方がTMS業界にとってはいいんじゃないかと。(笑)

中村  アカデミックからしますと、海外の文献とかみる限り、間違いなく『MCU』はTMSに分類されていますね。なぜかというと、『MCU』はマーベルエンターテインメントグループがつくりあげた全てのコンテンツを指しているのではなく『MCU』とブランディングされた作品群のみを指しているからです。これらの作品群は、映画だけではなくて、ABCなどで展開されたTVドラマもあれば、Netflixで展開された配信専用ドラマもあるし、『ワンダビジョン』みたいな『ディズニーPlus』で展開された、『アベンジャーズ/エンドゲーム』の直接的な続編として位置づけられたドラマもある。


 そこに加えて本来のマーベルコミックとは別にMCUのタイアップコミックとかもある。ニックフューリーの前日談とか。あと、小説とかもある。
 なので、これら作品群におけるトータルの体験としてはTMSとしてのつながりは強い。ただし、ゲームはないんです。そこがインパクトとしてイシイさんも感じたところで、一番わかりやすいのはゲームもアニメもアプリも全部繋がっていると、まったく違うメディアがいかにも繋がっている感は出せるけれども、必ずしもゲームが必要という訳ではない。

石川 ただ、フィルムメディアに偏っているなと。コミックもたしかにあるんですけど、そんなに数がある訳ではないですし、レギュラーシリーズとかはないですよね。単発かショートシリーズばかりで。なので、そのあたりでなんとなくどう捉えているのかなと思った訳ですが。そうなると、海外的にはTMSということで一致しているということですね。

中村  ジェフ・ゴメスさんというTMSを啓蒙している方もMCUは一番の好例だと言っていますし。業界もメディアもアカデミックも合意して、あれはTMSの代表だと。

石川 なるほど。あともう1つお聞きしたいのは、最初からTMSとして設計されているものと、拡張としていった結果、結果的にTMSになったものがありますよね。初期の『スターウォーズ』とか、『マトリックス』の1作目の時点とか、ファースト『ガンダム』とかはTMSというものは意識されていなかったと思うのですが、そういった後付け的な拡張であってもそれはTMSと呼ぶことに定義的には問題ないのですかね?

中村  それは問題ないですね。この場合の定義は類型化でですから。ヘンリー・ジェンキンスの定義に照らし合わせてTMS的特徴を有するかかどうかを判定しているだけなので。このように過去に遡って再分析をするということは欧米でも行われています。例えば、書籍『Historicising Transmedia Storytelling』とかそうですね。

『Historicising Transmedia Storytelling』
書影:Routledge Kindle版

 ただ、定義にもとづいて実行しているわけではないので、定義に完全に合致している作品というのはやはり無いと思います。ジョージ・ルーカスがコントロールしていた際の『スターウォーズ』も世界観的に一部は統合されて一部は放置されているとか、物語的な矛盾がいっぱい生まれているとか。
 でも、逆にディズニーで『スターウォーズ』や『MCU』が何をしていれるかというと、過去に生まれた沢山の矛盾も含んだ作品群の中で、人気の作品、評価の高いプロットや、設定、人気キャラターやメカなどをあらためて検証したうえで、そこから現在のシリーズへと再構築している。先ほど話が出た『最後のジェダイ』が失敗したのは、監督に好き放題にやらせてしまったから。これはジェフ・ゴメスさんが言ってたのですが、当時の問題というのは監督に権限がありすぎて、新しい世界を作ったのにカジノみたいなのを突っ込んでラスベガスみたいにしちゃったりとかでファンの反感を買ったり。
 でも『マンダロリアン』以降というのは、『スターウォーズ エピソード4』や『5』で作られたコンセプトアートを見直してそこのいいものを取り入れるとか、コミックの中で展開されて人気が出たボバ・フェットのエピソードを取り入れるとか、ゲームで生まれた設定を取り込むとか、そういったことをやって再構築して成功しているという感じですね。

イシイ 『スターウォーズ』は失敗例はあるんですが、もともとゲームやフィギュアの展開なども含めて最初からTMS的だったと思いますね。
あとは作家主義からプロデュース主義に変わっていく言葉でもあるんですよ、TMSは。そういった所も含めてこれからどう綱引きをされていくか。どちらかというとARGのTMSというのはクリエーターの側の言葉に僕は見えるのですよね。だけど、いま言われているTMSはすごくプロデュース側の動きですね。

中村 これは石川さんと一緒にやった鼎談でも同じ事を言っていますね。TMSというのはプロデュース側の発想で、デンマークにいる研究者のトスカさんは「トランスメディアワールド」という用語を2004年のときから提唱し、ユーザー視点からどういう世界観だとより没入できるか議論していました。
スザンナ・トスカさんのプロフィール
(Roskilde Universityのサイトより)

イシイ  今回の話を聞いていて思うのは、やっぱりアメリカでは圧倒的にハリウッドが強いんですよね、発言力とか聞いていると。だから、映像メディアを複数展開すればTMSだと言えるだけの力をハリウッドは持っている訳です。
 日本だとゲームがある程度力を持っているので、やっぱりゲームが混ざってなかったらダメでしょ、アニメとか映画とかTVだけだとそれはメディアミックスでしょ、みたいになるんですけど。
 アメリカは今回の『MCU』が映画と同レベルのことをネット放送でシリーズでやり出したということも含めてすごく革新的なんですよね。映画レベルが連続シリーズのドラマで見れるようになってきたということで。そこまでやられると、胸を張ってTMSというのは、違和感はあるけど分かるなあと(笑)

中村 厳格に言うと巨大スクリーンで鑑賞することを前提としたメディア体験と、いつでも席をたったり家事ができる環境で見れるようにしたテレビでのメディア体験はやはり違うんですね。そういう意味でもTMSなんです。映画もTVも同じリニアなメディアということで共通じゃない?という意見もあるんですけど、メディアスタディの例とか調べると、TVメディアとフィルムというのは分けて考えられていて、そういう意味ではTMSですね。
人によっては映画で公開しても結局ブルーレイになるじゃんという人もいるんですけど(笑)

石川 僕もそんなイメージがありました(笑)

中村 でも、2時間で終わらせる物語体験と、1時間を何週にもわたって見るという物語体験という、展開するプラットフォームに応じて物語展開を変えているのでTMSと言わざるをえない。

ARG的なTMSを何と呼ぶか

石川 じゃあ、その話を受けたところで、例えばARGとかTMSを活かした謎解きとかイマーシブシアターとかをどう呼んでいくのがいいんでしょうね?特に作り手視点だと、そういったジャンルが発展してほしいという気持ちがあるんですけれども。
ARGとは違うものも今はけっこう出てきていて、そういう意味でリアルに複数なメディアを横断しながら体験するゲームをどう呼ぼうかと。

イシイ 直訳だったらむちゃくちゃ合ってるんですけどね、TMSは(笑)

中村 Wikipediaには「インタラクティブネットワークナラティブ」とかありますけどね。

イシイ たしかにTMSがリニアなものに言葉が呑み込まれているのであれば、ARGは「インタラクティブ」とかそういう要素を大事にしているので、そういう言い方はありかもですね。
あと「ナラティブ」という言い方も日本におけるナラティブに近い気がしますよね。これも海外にもっていくと「ナラティブって物語のことだよ」ってなっちゃうのだけど。(笑)

石川 海外とかでかなり広い言葉としては「イマーシブエンターテインメント」とかも使われ始めているんですけど、イマーシブエンターテインメントの場合、テーマパークのアトラクションとかも含むので、ちょっと言葉として広すぎるかなあと。

イシイ 僕自身が『ストーリーのつくりかたとひろげかた』という本の中でナラティブとストーリーテリングを自分の中で分けようと思ったのは、ストーリーテリングってやっぱり語り方なので、TMSも含め発信側、作り手側の考え方なんですよね。どうストーリーを伝えるかという。
ナラティブというのは、受け手側の体験として位置付けるとちゃんと発信側と分けられるなと。つまり、受け手側で統合したのが「ナラティブ」というストーリー体験であると。そういう風に分けるとARGとかはすごくナラティブ寄りだと思うんですよね。
例えば、TMSも全部見なければダメという前提は本来ない訳じゃないですか。でも、見れば見るほど繋がっていく。受け手側が見た範囲で組み合わせて繋がっていったものをどう呼ぶのか。発信側はストーリーテリングだけど、受け手はどうなのか。
ARGとかはもっと受け手側に寄りますし、イマーシブシアター系もすごく受け手側に寄るじゃないですか。こちらが用意したストーリーテリングはすべて受け取られるとは限らないし。半分でも経験としていいものにならなきゃいけない。そういうことも含めて仕様を切っていると思うんですよね、石川さんとかも。
そういう、もっと受け手側に視点を置いた言葉にしていっても面白いかなと思いました。

石川 なるほど、なるほど。

中村 ちょっといろいろ調べてみたんですけど、どうやら「トランスメディアRPG」という言葉はあるみたいですね。

石川 じゃあ、RとPを外して「トランスメディアゲーム」という言葉を使ってもいいのかな?(笑)

中村 物語が中心だとTMSで、ブランディングが中心だとクロスメディアブランディング、ゲーム性が中心ならトランスメディアゲーム。いけるかもしれませんね、みんなでブランディングしていけば。商標をとって(笑)

石川 日本から世界に通用させてしまえば勝ちかもしれませんね(笑)

中村 メディアミックスも最終的には海外で「日本にはメディアミックスというものがあるよね、ポケモンはメディアミックスだよね」と認められつあるので、思いきって複数のクリエイターが「これはトランスメディアゲームだ」と言えば通用するかもしれませんね。

イシイ これはちょっと脱線するかもしれませんが、ARGがVRとかARとかが出てきたことによって、すごくデジタルっぽく感じるんですよね。でも、ARGって感覚的にもっとアナログじゃないですか。だからどっちかというとトランスメディアゲームとか言われた方がARGの感覚に近いですよね。
しかも、TMSが『MCU』とかでメジャーになったときには「トランスメディアゲームはTMSが現実に遊べるものなんですよ」みたいな、ARGのリーブトの言葉としてアピールができる。(笑)

石川 ARGって、日本だと略語の「ARG」でも分かりにくいし、原語の「alternate reality game」でも分かりにくいし、日本語訳の「代替現実ゲーム」でもわかりずらいんですよね。

イシイ ARが拡張現実と代替現実と二重にあるのがわかりずらくて。「ポケモンGOってARGなんでしょ?」みたいに思われちゃう。

石川 ゲーム関係者でもけっこう混同している人がいるんですよね。だからARGとは何かのスライドを書く時のお約束として一番最初に「ARGとARは違います」の説明から入る(笑)。あれは非常によろしくないですよね。

IGDA日本 2020年新年会のスライド


イシイ ARGが歴史が古い分だけ、新しい言葉にいろいろ書き換えられて追われているから可哀想なんだけど、何とか上手くやらないとどんどん勘違いされて混乱されてしまう。

石川 それはありますよね。TMSもそうかもしれませんが、そのあたりで上手く説明の仕方とか言葉とかが必要ではないかと思うのですが、さきほど話にあったように海外に通用しないような言葉もよくないし、といったところのバランスですね。でも、「トランスメディアゲーム」はありかもしれないなと思いました。

※後編に続きます(近日公開)

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