2016年6月13日

Twtterラウンドテーブル『現実とゲームの境界線』まとめ

(この記事は、えぴくすさん(@epi_x)に寄稿していただきました)

6月4日(土)の夜に、約2時間にわたり、  『現実とゲームの境界線』 と題した Twitter ラウンドテーブルが行われました。SIG-ARG としては久々の Twitter 上でのイベントだったにも関わらず、大勢の方にご参加いただきました。ディスカッションに参加いただいた皆さま、ありがとうございました。

詳細につきましては、Togetterのまとめをご覧いただくのが一番ですが、当日はモデレータの私がツイートの雪崩に飲み込まれておりまして、きちんと拾い切れていなかった論点もございましたので、改めて、いただいたご意見を私なりにまとめさせていただければと思います。ご意見や異論などがございましたら #SIGARG までお寄せくださいませ。

はじめに


今回のテーマ「現実とゲームの境界線」は、5/31の夜に起こった2つの出来事を受けてのものでした。

1件目の出来事がこちら: 『#クロちゃん救出 ツイッターだけで誘拐場所を探しだせ!→特定班の活躍で警察沙汰に→企画中止へ

そして、奇しくも同じ晩に起こった2件目の出来事がこちら: 『「ライターと連絡が取れない」とする架空の捜索記事でインサイドが謝罪 ステマではないかとの疑惑に「広告の出稿はない」と編集長明言

この記事では、これら2つの事案を「救出企画」と「失踪記事」と呼ぶことにします。

「救出企画」は間違った住所が共有され、そこに参加者が集まってしまったため警察沙汰となりました。

「失踪記事」はTwitter上で善意の拡散が行われたあとで、それが嘘であったことが分かり、炎上しました。

ラウンドテーブルでは議論を膨らませるために2件を並行して扱っていましたが、改めて1件ずつ整理していきましょう。



「救出企画」


大きく論点として挙がったのは以下の点でした。

・ルールやゴールが提示されず、参加者が自由に行動してしまった。
・情報を集約して伝えられる手段がなく、参加者のコントロールが効かなかった(?)。
・目的地がマンションの一室であり、場所を間違えると即事故につながる設定だった。
・登場人物が本当に自分の居場所を知らず、誤情報を自ら広めてしまった。

まとめると、参加者の行動をどう制御するか、という話に尽きます。

まずは、ルールを示すことで、迷惑行動を防げたのではないかという指摘があります。たとえば、夜間の現地行動を禁止するようなもの。あるいは、「現地確定はTwitter上で判定するので、確定情報が出てから現地行動するように」といった手順を定めるルールです。

一方で、たとえルールを示していても、それを皆が守っただろうか、という指摘もありました。これには2つのポイントがあり、まずは参加者全員にルールを伝えることができるのか。そして、知っていたとして、全員がルールを守るのか、という点です。

前者の全員に伝えることについては公式Twitterアカウントで頑張ったとしても、後者のあえてルールを逸脱しようとする参加者を止めることはできません。今回も、現地を発見した!と偽の写真を流して、その反応を楽しむ人が現れていました。一定規模を越えると、こうしたルールのさらに外側で遊び始める人々が混ざり始めます。

こうした逸脱が目立ち始めるのは、本筋の遊びがわかりにくかったり、停滞している証拠だったりしますので、まずはそちらをきちんとするのが先決ではあります。さらに言えば、こうした逸脱を逆に遊びに取り込んでいけるのがリアルをプラットフォームにしたゲームの醍醐味だったりもするのですが……。ともあれ、逸脱されても事故にはつながらないように設計することも大事なノウハウの一つです。

ノウハウとしては、運営が想定している枠組みからユーザが逸れているときに、ユーザが自らおかしいことに気づけたり、あるいは逸れていると迅速に通達できる仕組みを用意することが重要です。

「救出企画」でいえば、正しい現地には「水曜日のダウンタウン 黒川」という表札がでている、というルールと、番組公式アカウントによる「その現地は間違いである」というアナウンスがそれに当たりますが、今回はすべて対応が後手後手に回ってしまった、という印象でした。

ユーザの行動を事前にすべて想定しきるのは困難ですので、ルールなどで何重にも安全装置を仕掛けた上で、最後のセーフティーネットとして、信頼できる公式発表ができる体制を用意しておき、問題発生時に迅速に対応する、というのが、安全な運営方法となるでしょう。

「失踪記事」


こちらの件で論点に挙がったポイントは以下の通りでした。

・フィクションと明記されていなかった。
・受け手が事実が書かれていると信じているニュースメディアでの架空記事だった。
・失踪という生死に関わる事件性の高い記事だった。
・尋ね人が事実だと誤認され、SNS上で善意での拡散が発生してしまった。
・作り物の記事での宣伝=ステマであると厳しく非難された。

ARGにおいては、今回の記事のような、最初に物語の入り口となる事件やWebページを「ラビットホール」と呼びます。当然ながらフィクションである「ラビットホール」を、「本当のこと」と見なすことにより、その先に広がるゲームへの参加権を得るわけです。

ARGを知っている人であれば、今回の失踪記事はゲーム内容への言及が多いなど、明らかに不自然でしたので、「これはラビットホールだな、何か引き続きの展開が起こるな」と期待感を持って受け取りました。

しかし、一方で、記事の内容が事実に基づかないと判明して、強く非難する人も現れました。ステマであるとか、媒体の信用を毀損する行為であるなど、幾つかの論点があったかと思いますが、この反応の根っこには、騙された/騙されそうになったという不快感があったのではないかと思います。

同じ記事に対して、面白く騙してくれそう!と喜ぶ人もいれば、騙すなんてけしからん!と怒る人も存在し、結局、後者の声を重視して企画を中止することになったわけですが、どんなポイントに気をつければこの結果にならなかったのでしょうか。

尋ね人という善意で拡散が起こる形で虚偽の記事を構成してしまったのが傷口を大きく拡げた原因ではあるのですが、そもそも、ラビットホールが真実と信じられてしまったのが問題の始まりでした。

この点については、そもそも記事にフィクションと明記すべきであったという意見がありました。フィクションと明記するのは「台無し」であるという意見に対して、どうせARG的な展開に付き合ってくれるユーザは、作り物だと分かって付き合ってくれているのだから、ラビットホールに創作だと明記しても問題はない。代替現実的な感覚は、現実を用いた展開を進める上で自ずと生まれてくるものであり、入口を現実っぽく見せかけることは必須ではない、という意見です。

今回のケースでは、本文中で中途半端に注記するよりは、タイトルに【AD】とか【PR】という表記を入れてしまったほうが、読者との摩擦は少なかったのでは、という意見もありました。確かに、そうなっていれば、ステマだという指摘は起こらなかったでしょう。

オモテのまとめ


対策をまとめると、リアルを使って遊ぶときには、告知時にはフィクションであることを明示し、信頼できる公式アナウンスの媒体を用意した上で、開始する前には参加者にルールをしっかり伝え、実行中は適切な指示を随時行うこと

……という、極めて妥当な結論で〆ようかと最初は思っていました。しかし、このまとめ記事を書くにあたり、過去の色々な事例を思い返すにつれ、ふつふつと「そうじゃない」という気持ちが湧いてきてしまいまして、ここからあとはそういう話をします。

なお、今回の企画のように、ニュースサイトの読者やテレビ番組の視聴者といった、不特定大人数に対して投げかける企画で代替現実的な遊びを行う際には、安全側に倒すべきです。その結論は変わりませんので、これをオモテのまとめとします。

代替現実感が生み出すもの


代替現実感とは、ARG情報局でしばしば言及される概念です。物語が現実と交差しているように感じてしまった瞬間の独特の感覚のことを指します。詳細な解説については、長文ですが「体験型エンタテインメントの要素と「ARG」の定義」などもご参照ください。

ARG情報局では、代替現実感に極めてこだわっているARGのことを「本格ARG」と呼んでいます。本格ARGかどうかを見分ける一つの指標は、TINAG原則に則っているか、です。

TINAG とは This Is Not A Game の略。00年代に欧米で ARG という新しい遊びが広がっていった際に、合言葉とされていたキーワードです。運営はゲームであると決して明言せず、参加者もこれがゲームだと(少なくとも表だっては)扱わない。運営も参加者も、大人のごっこ遊びをしていると理解いただければ良いかと思います。

余談ですが、Ingress という人気の位置ゲームも、実は欧米の ARG の流れを汲んでいまして、例えば、初期のPVの初っぱなに "Ingress is not a game" と出るのは ARG ファン向けのメッセージだと理解しています。


さて、先ほど出しましたオモテの結論を言い換えると「TINAG なんてクソ喰らえ。安全に運営を行うのが一番重要だ」となりまして、これにも一面の真実があるわけですが、本当に TINAG に価値がないのか、ということを語りたいわけです。

文章では伝わらないことを承知で、私のプレイヤーとしての過去の体験を思い出します。例えば、北参道。それまでネット上だけでやりとりしていた情報提供者と現地で合流し、取引現場の雑居ビルに踏み込んだときに、階段ですれ違いざまに男に声をかけられたあの瞬間。あるいは、秋田の冬の山荘での一夜。同じ宿に泊まっている誰かが殺人犯に違いないという状況で、互いに疑い合いながら、決定打を見つけられずに過ごしたあの時間。

これらの瞬間、確かに脳ではゲームの中であることは理解していつつも、同時に強い没入感の中にいました。この非日常世界に本当に入り込んでしまったような感覚、これが代替現実感であり、ARG制作者がARGを特別な娯楽たらしめていると信じている核であって、これを一度体験してしまったARGファンがARGを求め続けることになる理由でもあります。

そして、プレイヤーとしての経験からいえば、「作り物でなさ」にこだわるほど、確実にこの代替現実感は上がります。例えば、E-Pin企画さんの「ミステリー・ザ・サード」は極めて没入度の高い参加型ミステリイベントです。屋敷などを借りて行われることが多く、受付する所から作中設定で参加者は扱われ、そのまま殺人事件に巻き込まれます。しかし、参加する側の私の問題として、毎年参加してきたせいで、主立った役者さんの顔を覚えてしまい、どうしても観劇している感覚が生じてしまうのです。役者さんの演技はそんな気持ちすら吹き飛ばしてくれる迫力がありますし、十分すぎるほど楽しい時間を過ごせるのですが、同時に、全ての記憶をなくして誰が役者かも分からないまっさらな状態で参加できれば、さらに没入度が上がるだろうに、とも思ってしまいます。

そうした点で、TINAG に本当にこだわった本格 ARG では、誰がパペットマスター(運営)か、ということすら明かさずに行われます。ゲームではないのですから、運営がいるはずもないのです。また、登場人物の悩みといった形で果たすべき目的は提示されますが、それをこなすためのルールが運営から提示されることもありません。さらに、当然ながらフィクションである、という宣言も行われるわけがありません。This Is Not A Game。

さきほどまとめたオモテの結論と、真逆の条件となってしまいました。問題は、それが万人向けのエンターテイメントになっているのか、というギモン。しかし、それでも、TINAG を突き詰めたところに異質な体験は確かにある、ということは明言しておきます。

TINAG と安全さの狭間で


安全に倒すというオモテの結論と、TINAG にこだわった先に何かがあるはずという本格ARGのスタンス。実際にARG的な遊びを企画・運営する際には、その両者のバランスをうまく考えていく必要があります。

現在の所、万人向けに本格ARGを実施できるようにする発明はまだ為されていません。少人数向けに濃い共同幻想を提示することはできても、大人数向けに濃度の高い共同幻想を維持させる手法は編み出されていないのです。……ええっと、アイドルとARGの近似性についてはたびたび指摘されることである、ということについてだけは触れておきます(「21世紀のグループアイドルに見る“ARG性”」)。

広いユーザ層に対して、どれだけ代替現実感の高い体験を提案できるかについては、まさにこれからの皆さまの発明の積み重ねで進歩させていくところでありますが、いくつか既に使われているノウハウについてご紹介しましょう。

まず、ラビットホールで、代替現実感を失わず、うっかり通報事案にならないようにするノウハウですが、ここについては、どういう代替現実感を提示したいのかによっても対応手法が異なります。

例えば、どっきりカメラは代替現実的ではありますが、当人が本当に騙されてしまうのは行き過ぎである、というのが私の意見です。娯楽としてのARGを作りたいのであれば、どんな衝撃的なARGの展開があっても、プレイヤー本人は現実には守られている、という安心感は絶対に必要です。

プレイヤーの安心感を保ちつつ代替現実感も提示するには、フィクションとは明言しないが、明らかにフィクションと分かるようにラビットホールを構成する、というのがオススメの手法となります。(クレーム対策としては、隅っこにフィクションと書いておいた方が、やっぱり安全ではあります)

明言せずにフィクションと受け入れられるには幾つかの手法があります。例えば映像がアニメであるとか、あるいは有名な架空の登場人物が登場する、また使い勝手の良い手としては、未来から/宇宙からのメッセージ、のような設定をいきなり出すのも有効です。

言い換えれば、一見して"ネタ"と分かりつつも「でも、本当だったら面白いのに」と思えるラインを考える、ということになるでしょうか。くまモン失踪の熊本県知事の会見動画を見て、騙された!と怒る人は少ないでしょう。また、月刊ムーなどはそういう意味でとてもARGと相性の良い媒体です(参考:1080万円争奪戦がいつの間にか世界の危機に!?「ストライド メガミステリー ラスト」)。

今回の「失踪記事」のケースで言えば、例えば「連絡が取れないライターの部屋に行ったら不思議な置き手紙が遺されていた」のように、明らかな非現実感を出すことで、"ネタ"度を適切に提示できたのではないか、という意見もありました。

次に、公式アナウンスの媒体ですが、運営上非常に重要ですので、可能な限り用意しましょう。設定の工夫で何とか頑張りたいところです。プレイヤーへの依頼主的な存在がいるなら、そこがプレイヤーへのお願いとして公式アナウンスを自然に行えます。また、そういう形式を取れない場合は、プレイヤーのコントロールという観点からも、プレイヤーを何かの作中組織の一員としてしまうのが簡単です。そして、その組織の指揮系統という形で公式アナウンスの手段を持つと、強制力の持ったアナウンスを出す理由付けがしやすくなります。また、代替現実感は失われますが、安全を重視するならば、運営の公式アカウント、というものを用意してしまうという選択もありえます。

アナウンスの実効性の持たせ方については、いかに皆が共同幻想を維持しようと思えるか、というところにかかっています。運営側とプレイヤー側で、うまく共演関係/共犯関係を築ければ、皆、自然と壊さない方向で協力してくれるはずです。世界観やキャラクターの魅力など、コンテンツの求心力が非常に重要です。また、運営の「プレイヤーを大事にしている姿勢」みたいなところが、結局は重要だったりするのかもしれません。

最後に、プレイヤーにミッションを出す際のルールの提示方法ですが、まず、プレイヤーの安全に関わる案内に関しては率直に伝えるのが良いかと思います。共演関係が築けていれば、プレイヤーも阿吽の呼吸で従ってくれますし、プレイヤー間での自治も機能し始めるでしょう。

また、細々としたルールを作るよりは、ミッションごとにゴール条件を工夫するのが効果的です。行動するためには目的が必要ですので、細かいルールが伝わらなくとも、ゴール条件だけなら伝わりやすいという大きなメリットがあります。例えば、「目的地の窓には××というマークが張ってあるので、そのマークの写真を送ってほしい」といったように、ゴールを明確にすれば、参加者が取る行動は、そのゴールを達成するためのものに自然と収束していきます。

なお、ここで説明した細々としたノウハウは、ARG の15年の歴史の中で培われてきたものです。そうした様々な事例を紹介していくのもARG情報局の役割かと思いますので、機会がありましたら、引き続き事例をご紹介していければと考えています。皆さまの発想の刺激になれば幸いです。

まとめ


TINAG にこだわりすぎると一定以上の規模の企画が難しくなりますが、一方で、TINAG にこだわると生じる独特の感覚は ARG の大きな魅力であることも間違いありません。

TINAG 的なアプローチを尊重しつつ、日本の現状に即した適切な手法をその場その場で頭を使って悩んでいく、ということの積み重ねの先に、日本ならではのARG的なコンテンツが生まれることでしょう。

それは、TINAG 色を色濃く残した上でニッチ層に熱狂的に受け入れられるコンテンツかもしれませんし、作り物であることは前面に出しつつもARGの香りを残した広範囲に受け入れられるコンテンツなのかもしれません。

まだ見ぬ地平が広がるジャンルです。作る前に悩みすぎず、ぜひ実際に作って、事例を積み重ねていきましょう!

最後に、余談ですが、今回の件は、プレイヤーと非プレイヤーの境界線や、遊びと現実の境界線という観点から、少し抽象的にも議論できると考えています。遊び論でいう、ゲームの場を規定する魔法円(マジックサークル)の議論となるかと思いますが、また機会があればディスカッションの場を設けたいですね。


関連リンク
Togetter: 『現実とゲームの境界線』#SIGARG Twラウンドテーブルまとめ
Twitter: #SIGARG

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