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2021年9月3日

【対談】トランスメディアストーリーテリングって何だ?(後編)

大変おまたせしましたが、前回に引き続き『【対談】トランスメディアストーリーテリングって何だ?』の後編をお届けします。
今回は中村彰憲氏、イシイジロウ氏、石川淳一の3人と参加者との質疑応答のパートとなります。

ストーリーテリングと体験感

石川 さて、なかなか結論を出しづらい内容だと思いますし、1時間近く話をしているので、聞いている方の質問とか意見をお聞きしたいなと。
そもそも我々はトランスメディアストーリーテリング(以下「TMS」)をある程度知っている前提で話しちゃっているので、何を言ってるか分からんとか、ここをもう少し詳しくとかでもOKです。
あ、手が上がっていますね。

田端 よろしくお願いします。田端 秀輝です。
ARG的なTMSについて気になっていたんですけど、たしかにメディアをトランスしているんですけど、ストーリーテリングって必要なのかなということが気になっていまして。それはストーリーとナラティブの違いって何という話にも繋がってくると思うのですけど。ストーリーテリングしているのかなというのがちょっと気になっています。

石川 それはまさに「ストーリーテリング」というのをどう解釈するのか、という所なんですが、ARGってメディアを横断して作る訳じゃないですか。そうすると、映画とか小説みたいなストーリーではないけど、脳内で組み合わさることも含めてストーリーを想定しながら物を作るというのはあると思います。さっきの、体験を何と呼ぶかという話にも近いのかもしれないですが、そういう意味ではストーリーテリングじゃないかと思います。
ちょっと違う話になりますが、佐賀で『カバルの箱』というアイテムを作られているmasuさんという方がおられて、これはどういうものかというと、箱の中にたとえば新聞記事の切り抜きとか手紙とか怪しげなアイテムとか入っているんですけど、これってゲームではないんですね。

アイテムの1つ1つは単なるメディアのバラバラのパーツなんで、これを見た人がどういう風に頭の中で物語を浮かべるかというものなんです。ストーリー的にコントロールされている訳ではなくて、見た人が自由に想像してください、という構造なんですが、これも僕は立派なTMSだと思っているんですね。
ちょっと田端さんがイメージしているストーリーテリングと、私が思っているストーリーテリングが一致しているかどうか分からないですが、ストーリーテリングというのを意識しながらメディアを選んだり、内容を決めたりというのはやっているつもりですね。

田端 おっしゃる事は分かりますし、作り手はそういう風に考えているんだろうなというのは分かるんですが、例えば映画だと、「こういうストーリーを体験してほしい」というのはある程度固まっているのかなと。それに対していま石川さんがおっしゃったのは、割と受け手の方に自由度を任せている領域が大きい。それが、映画とARGの特性の違いなのかなと思うのですが。

石川 それはあるとは思います。ビデオゲームでも、情報が入ってくる順番によって体験感が変わるというのはあるんですよね。
同じ物語であっても、最初に何をみて次に何を見るかみたいなところで体験感が変わるというところで、きちんとしたストーリーがあっても、その人ならではの体験感を出しやすいということはありますよね、TMSだと。

田端 そうすると、『マーベルシネマティックユニバース(以下「MCU」)』とかも映画を観る順番によって体験感が変わってくる?

石川 変わってきますね。それでいうと、WOWOWがオンデマンドを本格的に開始した時に海外から持ってきたドラマ『インテロゲーション:尋問~殺意の真相~』というのがあって、その体験感が変わるのをかなり強く意識した構造なんですね。
全10話のドラマなんですけど、1話と最終話以外はどの順番で見てもいいですというドラマなんです。どの順番で見るかによって、例えばあるキャラクターの過去を見た上で現在こんなことをしたと思うこともあるし、現在を先に見た上で、その理由はこうだったんだと思うこともある。見る順番で物語体験が全然変わってくるので、さっき言った『MCU』とARGの間くらいにある体験感のドラマかなと。

田端 さきほどイシイさんがおっしゃっていたIPのプロデューサー視点でいうと違う風に見えるけど、受け手視点で見ると、それはある軸の右の方にあるか左の方にある濃淡、同じカテゴライズに入るけど濃淡の違いなのかなと今の説明で思いました。ありがとうございます。


強い立場の人たちが用語を定義していく

石川 他の方、いかがですか。ゲームデザイナーの岩崎 啓眞さんとかちょっと話を聞いてみたいのですが

岩崎 呼ばれたので(笑)岩崎です。
ちょっとさっき引っかかったのはナラティブの話で、ボクが2012年の時にニュージーランドにいたときにちょうど話題になり出した概念だったんですね、『風の旅人』が大ヒットして。
で、その時には英語圏の連中もみんな「ナラティブというのはゲーム体験を表す」今でいうところの環境ストーリーテリングのようなものがナラティブだ、みたいな話だったんですね。
で、一度日本に戻ってきてそのあと中国企業にゲームデザイナーとして入って仕事をしたら、たまたまプロジェクトの都合でお話を作るのもやれと言われたんです。で、自分のポジションは何になるの?と聞いたら「ナラティブデザイナー」だと。「え、ただのお話もみんなナラティブになっちゃったの」みたいな(笑)
そんなのがあって、さっき話を聞いて思ったのは、海外の連中にひっぱられて単語の意味が変わっていくとすごく困るんだよなあと(笑)

石川 まさにTMSとかも同じような問題ですよね。

イシイ 英語だから、英語圏の人間で意味変えられちゃうと日本だけ取り残されちゃって。

岩崎 だから、さっきの話を聞いて思ったのは、TMSって結局のところ日本でいうメディアミックスになっちゃっていますよね。

中村 ファミ通のときの記事でジェフ・ゴメスさんという、まさにTMSを啓蒙してハリウッドに浸透させた人の話を聞くと、彼自身の小学校時代のキカイダーなどのメディアミックス体験が原点だったと言っているので、間違いなくTMSと言われているものは、最初の原点的な部分はメディアミックス体験なんですよね。
要するにハリウッドではIPをいったん他のメディアにライセンスしたら契約上受け手側がかなり自由にやっていいというおざなりな形になっていたので、他のメディア体験が特に連携されていなかったんです。
日本の場合はTVドラマ、雑誌、漫画すべてがそこそこコーディネートされて展開されているのにシナジー効果を感じたというのが、ジェフ・ゴメスさんの原体験にあって。
それで、ハリウッドとかに提案したのだけれど、そこから徐々に日本と違う所が出てきたのは、「シェアドワールド」という概念をかなり原理的に守ったという事なんですね。
例えば『ロード・オブ・ザ・リング』とかそうですけど、あれには補完される書籍とか資料があって、やっぱり『ロード・オブ・ザ・リング』を展開する場合には、その世界とか歴史を忠実に踏襲しなければならないというのをやっているので。正史とそうでないものをちゃんと切り分けて、正史に集中するということをやったらTMSになった。
日本だと『妖怪ウォッチ』にしても『ポケモン』にしても、宇宙世紀以外の『ガンダム』のものとか、そのあたりはふわっとしていても受け手側がそれを受け入れる傾向があるのに対して、欧米の場合だと原理主義者が非常に多い。それこそ「気に入らないものはなしにしよう」という人がめちゃくちゃ多いんです。
だから、手法としてはメディアミックスなんだけど、TMSというのはメディアミックスの中の一つの分野として確立しているというのが正しい言い方だと思います。

イシイ かつてはライセンスアウトが強すぎたんですよね。日本はライセンスアウトなんだけどある程度はコントロールができているので、そんなに混乱がおきなくて。ただ、『Gガンダム』とか平成『仮面ライダー』とか、あれも最初はファン反発強かったですけどね、ぶっ殺すレベルくらいの(笑)
それを超えて次のステップに行けているんですよね。なので逆にTMSって今はアメリカ中心に言っていますけど、その次にマーベルがマルチバースでやろうとしているのはそこなんで。それをまたTMSと呼ぶのか別の言葉で呼ぶのかわからないですけど。
それをTMSと呼んだら『ポケモン』とか「Gガンダム』もTMSと呼べちゃうし(笑)

石川 またややこしいことになる(笑)

イシイ でもハリウッドは力強いから、あの人達が言葉を決めていくんだろうなと。
だから、もう影響されたくなかったら日本語で言うしかないですね(笑)

中村 ただ、ちょっとマーケティング的な調査をやっている人間からいうと、『アベンジャーズ/エンドゲーム』たいな、ああいう没入感的な体験というのは、単純なメディアミックスとTMSをきちんと切り分けない形で製作されたら、あそこまで到達できたかちょっと分からない。

イシイ それはそうだと思います。ある意味、映画のフォーマット自体を壊していますからね、『エンドゲーム』は。

中村 そこはTMSという言葉に厳格な定義を加えて、いわゆる普通のライセンスアウトとは違うんだよとやって、それから仮説を立てて何十億つっこんでやった体験はやっぱり違うものになったと。

イシイ 今までは『スパイダーマン』みたいなのだったんですよね、ライセンスアウトは。

石川 何度もリブートがあって(笑)

イシイ それを完全にコントロールして『エンドゲーム』までもっていった。あれは最終の計画があった上での1作目の『アイアンマン』をスタートさせているので。
そういう計画があったというのは革新的で、あれをTMSであると胸張って言われると「まあ、はい」ということになる(笑)
ただ、日本は自信を持ってゲームとか含めて更に拡張ができているんですよね。『MCU』みたいなことは僕らは『ガンダム』とかいろんなものを通っている訳なんです。あそこまで世界的な成功ではないですけど。そう考えると、TMSが今後どうなっているかは予想は付きますよね。ゲームも入ってくるだろうしと。
ただ、そこは夢見ていると、さっきの岩崎さんのナラティブの話みたいに、日本の僕たちだけが違う言葉になってしまって、世界的には20年後くらいにTMSが保守的な言葉に落ち着いているという怖さはありますけどね。ハリウッドの中だけの言葉になっちゃうとか、ゲームとかは関係ないとか、されかねない(笑)。
僕なんかも『風の旅人』とかの感覚でナラティブという言葉が出てきたときに「そうだよねえ、ホント体験だよねえ」みたいなことを思っていたら、10年たったら、スッとただのストーリーのことになっていて(笑)。

世界観とストーリーの幅

石川 次の方どうぞ。

池田 石川さんと一緒にSIG-ARG(注:2021年9月3月現在は「SIG-体験型エンターテンメント」)で副世話人をやっています池田 奈美です。
私はARを使ったARGとかもやっている人間なのですが、いまそれをやっている時にARGという言葉をもはや使わなくなっています。
あと今イシイさん、中村先生と石川さんの話を聞いていて、ストーリーというものの広さがちょっとずつ違うかなと思って聞いいました。ARGの場合はある程度起承転結というか、ひとつの完結する物語の中で、いかにいろんなメディアを跨ぐかというのをTMSです、みたいな風に呼んでいると思います。
でも、イシイさんとか中村先生がおっしゃっているスTMSのトーリーってもっと広い、それこそ『ガンダム』とか『仮面ライダー』みたいな形でおっしゃっていましたけど、それこそワールドだったりユニバースだったり、シェアドワールドみたいな言葉もありましたけど、共通の設定だったり世界観に基づく大きな物語世界みたいな所の中でいろんなメディアが渡ったところで世界観を感じるのをストーリーと呼んでいるようなイメージを受けて。

石川 まあ、TMSはどっちも指しちゃっているので困っていますというか(笑)

池田 そうやって大きな世界になっていってユーザーさんがどこでどういうメディアでどういう世界観に触れてどういう風に入っていくか、何を感じるか、何を受け取って自分の中で解釈するか。そういう所を重視すると、TMSがプロデューサー的な言葉だなというのがすごくいったというか。

石川 逆にちょっと質問なのですが、さきほどARを使ったARGでARGという言葉を使わないようにし始めているという話がありましたが、それは具体的にどういう感じです?

池田 ARというのは物語を理解するための手法の一つであって、そもそもARだけで物語をつくるというのは私の中であり得ないんです。
デジタルとアナログが、という境目を広告業界でもあまり意味ないよねと言ってるように、それこそトランスメディアやマルチメディアで物語を体感するということ自体がメディアを跨ぐということをユーザーさんは別に意識していない。
あまりメディアを渡って物語をやるということ事態が当たり前で、だからARに閉じないようにあえてARGという言葉で区切りたくないというか。

石川 興味的にはどういう言い方をするとキャッチーな言葉になっているのかなと。そういういい言葉があったら利用したいなとおもっただけです(笑)

池田 それはエンドユーザーさんには伝えてなくて、中のクリエーターさんにはARGという言葉を使わないというというにしているという。

石川 なるほど、なるほど。

イシイ ストーリーの定義が今の『MCU』までだったらいいんですけど、マルチバースという平行世界とか多元宇宙まで指すようになってしまうと、それはストーリーではないですよね。
そこまで来るなと予想した上でTMSを語っているので、すごくややこしい。今はそこまで行ってないんですけど、絶対やるじゃないですか(笑)

中村 そこはジェフ・ゴメスさんとかは「シェアードワールド」と呼んでますね。そうするとマルチバースも入るし、『MCU』だけでなくSONYの『スパイダーマン』もあるし、20世紀フォックスの『Xメン』も全部入っちゃうんですよね。
ただ、TMSってどうしても我々は分かりやすいから大きい例を挙げるけど、小さいのもあってさっき石川さんが言った『ブレアウィッチプロジェクト』とかは、映画そのものとそれに関する情報的な部分をサンダンス映画祭に出したり、切り貼り新聞的なものと映画という別のメディアとトランスしているから、TMSといえるしARGっぽいですよね。
あと、京都で行われている『地下鉄に乗るっ』というキャラクターキャンペーンがあるんですけど、これは地下鉄のそれぞれの駅に合わせて複数のキャラクターがそれぞれ存在しているんですよ。
キャラクター同士が同じ京都という世界で繋がっているので、これはTMSを使ったブランディングに位置付けられる。だから、決して大きいプロジェクトだけでなく小さいプロジェクトでも複数のメディアを使ってそこに整合性がとれた何らかの物語体験を提供したら、そのIPとしてはTMSなんですよね。

池田 ユーザー参加というところも含めると、ユーザーがどのくらいの視点でその世界を理解して妄想して受け入れるか、みたいなところが世界とかストーリーの幅なのかと思って。
『仮面ライダー』とか私もむちゃ好きなので、例えば『仮面ライダーオーズ』とかの単体作品で語るのか、『仮面ライダー』シリーズという世界の中で語るのかという所で、それこそユーザーさん目線では『オーズ』が好きな人は『オーズ』だけ語れればいいから、『オーズ』だけでトランスメディア展開をしていれば、その中でTMSとして成立するだろうし、『仮面ライダー』全部が好きな人はいろんなメディアで受け取ったもので自分の世界を構築するからそれもTMS。
ユーザーさんがどういう風に自分の中で受け取って構築するかという範囲なんだなと。

石川 制作側の技法とプロデューサー的な視点と受け手側の受け取り側と全部混ざっちゃっているので、とても説明しずらい所になっているのはありますよね。

池田 逆に、今日の話でそういう視点の違いでの考え方が提示されたので、提供側の自分としてはたしかにそうだなと整理できた、ビジネスとしてもそういう風な考え方ってあるなと。無理矢理トランスメディアを1個の細かい施策でやりきらなくても、広げた上でということもできるなと視点が広くなりました。

イシイ 現状の『MCU』とか『スターウォーズ』とかのTMSは、もちろん視聴者とかユーザーのことを分かってコミュニケーションしながらはやるんですけど、やっぱり発信重視のストーリーテリングだと思うんですよね。
ARGとかイマーシブとかマーダーミステリーとかは受け手側がどう解釈していいという部分があるじゃないですか。それはまた別の意味ですごく価値があるものであって、TMSでいま進んでいる『MCU』の方向とは違うゲーム性の高い体験が生まれてくる。
そういった新しいゲームとかプロモーションとかが生まれてくると、今のTMSにハマらないくらいの面白さが残っているかなと思っているので、ゲームとかはハリウッド的なTMSに巻き込まれない方がいいのかなと。言葉的に利用するというのはあっても(笑)。

中村 『マンダロリアン』をディズニーが始めたときとか『MCU』とか見ていて、結局ゴメスさんが言ったようにハリウッドの作り手が一番発言力が強いというのは変わらないのですよ。
だから『スターウォーズ』のゲームでルークを使うなとか言う訳じゃないですか。日本で例えば『鬼滅の刃』のゲームを作る先に炭治郎を使うなとかは絶対ありえないですよね。
だから、作り手がどう思っているか分からないけど結果的にハリウッドは、方針さえきっちりと固めれば、トップダウンでもTMSになる。
逆に日本で普通にゲームでTMSやろうとすると制作委員会から反発が出る。勝手に公式世界を拡張するな的な。だから構造的に日本は通常のメディアミックスにならざるを得ないというのはあるんじゃないかなと。


TMSの広がり方

中村 『ソード・オブ・ガルガンチュア』作っている新 清士さんにちょっと聞きたいですね。TMSとかどうやっているかみたいな。
『ガルガンチュア』ってかなり余白あるじゃないですか。VR体験としてeスポーツ的な部分もあるし、けっこうバックストーリーも深そうですし。
 ストーリーはそれなりに作っていますが、きちんと公開してないですね。ちゃんとTMSとかを考えてやっている訳ではなくて、ユーザーさんの反応を見ながらよさそうな機能を開発リソースを見ながら追加しているというのが実際のところですね。運用としては普通のMMORPGに近い感じだと思います。

中村 でも海外の『リーグ・オブ・レジェンド』とか『Dota 2』とかもそうですけど、一番評価されているeスポーツってかなりTMS体験というのがあって、その辺とか経営者としてどう見てるかなと。

 いやあ、TMSを展開しようとするとお金とか作るための専任の担当者がいないと大変だよなあと思うところで。それをきちんと余白まで考えて戦略的に組むというのはなかなか難しいなと。ゲームとしてもうちょっと成長してちゃんと状況が整ってくればそういうこともいろいろできると思うんですけどね。ただ、ユーザーの方でいろいろ妄想してくれてゲームの中の余白をいろいろ楽しんでくださっている部分もあるので。
あと、これは日本の文化的なところもあると思うのですけど、運営して思うのは公式的な公開されている情報となんちゃってみたいな情報をユーザーさんがちゃんと切り分けて理解するというか。これは日本の同人誌文化みたいなものの影響も大きいんだと思うんですね。
『ガルガンチュア』の場合はMODの機能を入れているところもあって、そこの世界をどういう風に解釈するかみたいなところで、こっちはなんちゃって世界、本伝の方は本伝という理解をしてくださっている気がしますね。
あと話を伺いながら思ったのですが、『ガンダム』とかはTMSと呼んでいいんでしょうか?

中村 宇宙世紀ガンダムだけに限定すれば、開発当時のドキュメントとか見ていくと、子供向けのおもちゃは作るけれども制作者としてはティーンに受け入れられるようにアニメに直接出て来ない部分まで世界観がかなり作り込まれている。
さらにファーストガンダムのTVシリーズが終わったあとのプラモデル展開でアニメのコンセプトアーティストやっていた大河原邦男さんが関わったりしていたりするので、偶然とはいえ『スターウォーズ』がやっているようなTMSみたいな作りになっているんですよね。

イシイ プラモのMSVはすごい発明だと思います。あれはおもちゃが物語を語っているので。
それを逆に拾いまくって今またアニメを作ったりしてますし。

中村 おもちゃだけだとTMSになのかってなるのだけど、そこに解説文などがプラモの中に入っている上に、さらにコミックボンボンなどに解説記事や解説マンガが入っていたので完全にTMSですよ。

 そうですよね。それで宇宙世紀以外のガンダムも『ターンエーガンダム』の中で「黒歴史」という形で補完されるように統合されたじゃないですか。

イシイ あれがまあマルチバースを先取りしていてて。富野由悠季がどんだけ天才かと(笑)。

 マルチバースという概念というのは、そのキャラクターを使った平行世界の存立も認めていって、たぶん『エヴァンゲリオン』とかもそこを目指そうとしているんだろうなあと。

イシイ ぜひ『MCU』で黒歴史という言葉が出てきてほしいですね。『アメージング・スパイダーマン』シリーズはソニーピクチャーズ的に黒歴史だ!とか(笑)。

中村 でも、こう見るとなんで宇宙世紀だけあんなにコアなファンがいまだにいるかというのはなんとなくわかる気がするんです。『アベンジャーズ エンドゲーム』を経験したコアユーザーは『ワンダビジョン』や『ファルコン&ウィンターソルジャー』についてきているし、『ディズニーPlus』を1年間で1億人達成した原動力になっていますよね。あの熱狂ってなんだと我々は思うんだけど、宇宙世紀『ガンダム』はどうなんだというと同じなんですよ。
私も研究があるので15000円近くもする『機動戦士ガンダム公式百科事典』を買ったんですよ。1千ページ近くある分厚い本なんですけど、これが宇宙世紀を振り返るみたいな書き方なんですね。未来の歴史家が書いたみたいな構造で、これは完全なTMSなんですよ。そこのはまり具合というのは共通したものがあるなと思います。

 メディアの補完によってマルチメディアというものが出てきて、本とかに展開していくというのが80年、90年代にフォーマット化されて出来上がった。それが相互に作品をサポートして拡張されていく流れが90年代後半から2000年代頭に成長していったと。
さらに映画作品とかそういう大きな形で展開できるようになったフォーマットというのが今回のようなTMSとして出来てきたのかなというような気がするんですよね。
メディアの成長としては日本とアメリカというのはそれほど分断しないで起きていて、『スターウォーズ』にしても『スタートレック』にしてみても世界が拡張されつづけている。それをマーベルは意識的に戦略に取り込むことによって成功した映画会社であると理解できる訳ですね。

中村 『ポケモン』ってハリウッドで映画が出たけど、マーベルの『エンドゲーム』みたいにはならないんです。あくまでも単品の映画で。
同じアメコミ原作で言うなら、DCの『ダークナイト』は映画としては最高傑作ですよ。でも『エンドゲーム』のような熱狂は生まない。そこがTMSの不思議な部分ですよね。
『ガンダムユニコーン』の最終話とかは、何十年も我々が『ガンダム』を見てきて、ここであれが出てくるんだというような感動がある。TMSのそういった部分は、もっと検証したいところですよね。

 荒俣宏さんが昔書かれていた本でなるほどなあと思ったのは、ラヴクラフトのクトゥルフ神話がなぜこんなにいろんな所で言及される存在になったかみたいなエッセイで、
「あれは中身がないからそれを埋めたいというということで教本みたいなものが出てきて、それがフォーマット化され、RPGになり、物語として加速して、だれもが使いやいものとして広がっていったんだ」
と書かれていてなるほどなと思いました。

中村 ただ『ガンダム』も同じ状況があって、それを埋めたのがまさにガンプラだったと思うんですよ。宇宙世紀とか一年戦争って空白は多いのだけど世界観ははっきりして、そこに大河原さんのような設定に関わった張本人が入ってきて拡張世界を作って、そこにユーザーがどっと乗り込んでいって自分のジオラマを作ったりとか。
あのあたりの現象って、世界観が強大の割にストーリーが希薄だから埋めちゃえ、例えばアフリカ戦線を考えちゃえみたいな。それが広がっていってHJの別冊ができるとか。

石川 では、とりあえず今日はこのあたりで一区切りにしたいと思います。
今回の話を整理するとまた新しく課題なり考えなければならないことはたくさん出てきそうな気はしますが、いろんな視点で話はできたと思います。
では、今回はこのイベントを終わりたいと思います。長い時間聞いていただいてありがとうございました。

(2021年3月17日 clubhouseでの対談を元に構成)

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